MBTIで考えすぎ人間であることに気がついた話
突然ですが、いまMBTIめちゃくちゃ流行ってますよね。
16分割での性格診断で、当たっている! と話題のやつです。
MBTI(Myers–Briggs Type Indicator、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)は、狭義には、個人がどう世界を認識し、物事への決定を下すかについての心理学的な選好を示す、自己申告型のアンケート[1][2][3]である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/MBTI
筆者の職場でも流行っていて、職場の人たちの性格が見える化されていくのが面白いこの頃。
「あ、あの人は冒険者型だから、わたしと気が合うんだな〜」
「この人、意外にもエンターテイナー型なのか。言われると、そういう面もあるけど、違う性格な気もするな……」
などなど。どこまで正確なのか議論になっていたりするので、一長一短の診断ではありますが、交流のきっかけになるので、筆者はこの診断が好きです。
さて、このMBTIでひとつ「ああ〜これはそうだな〜」と強く思った部分があります。
それは「NとS」の違いです!
ものの見方(Information) S – 感覚型(Sensation)N – 直観型(Intuition)
https://ja.wikipedia.org/wiki/MBTI#cite_note-14
MBTIについて書いている記事で高層ビルが建てられるので、詳細は省きますが、この「N」と「S」の違い、かなり面白いんですよね。
筆者はMBTI診断をすると、コロコロ性格が変わる方なのですが、この「N」だけは延々に固定されています。つまり、めちゃくちゃ考えこむ性格なのです。
じつのところ筆者は「自分の考えについてアレコレ考えこまない」人間がいることさえ、最近まで気づいていなかったのです……!
考えすぎ人間の弊害
ここでもしかして「いや、考えることは大切でしょ!」と思ってくださった人、ありがとうございます。
考えることは大切です。ですが、考えすぎるのは良くないんです。本当に。
考えすぎは以下のような弊害をもたらします。
筆者の実体験なので血肉の通った失敗談です。どうぞ。
・「あの人はわたしのことが嫌いなのでは/好きなのでは……?」と、ささいな行動から推測するが、根拠がないのでどう行動すればよいのかわからない。→相手と距離をおくので、人間関係に問題が生じる。
・過去の失敗/傷ついた出来事について、何百回何千回と機会があるたびにリピートする。そのたびに「なぜ?」をぐるぐる考えるため、非常に疲れる上に同じことを繰りかえす。
・考えないことができないため、情報が多い状況でリラックスができない。常に情報処理しようとするので緊張状態。そのため非常に疲れ、人間関係では特に支障が出る。言葉を言葉通りに受けとらず、必要以上に裏を読み取ろうとしてしまう。
などなど……ひとつ目に至っては恥ですね。学生時代など、本当に痛い目を見ました。
考えすぎの原因は「わたしって論理的でしょ?」の勘違い
この弊害に気づいたのは、大学を卒業してしばらく経ったころでしょうか。
筆者の場合、就職先の業種が自分にまるで向いていない営業だったことが、かえって良かったです。
周囲の人たちが、これまでに関わってきたタイプの人とまるで違ったんですよね。
そこから色々失敗をして「これは直さねばいかん……」と思ったのが
「わたしって論理的だよね?」の勘違いです……!!!
痛々しいことこの上ないのですが、筆者は自分が「論理的で状況を冷静に見られる性格」だと思っていたんですよね。
でも、事実は違ったんです。というのも、
・自分に都合の良い論理を使い、精査をしない。
・この論理を使いたいという感情に支配されていることに気づかない。
・感情に基づく判断は論理的な判断よりも下であると考えている。
こんな感じだったんですよね〜。矛盾だらけ〜。
今でもこの傾向があるので、いましめなければならないな……と思う一方、この矛盾に気づいたおかげで、ひとつわかったことがあります。
それは「感情の自覚こそ、考えすぎの防止につながる!」ということです。
なぜ感情の自覚が大切なのか?
人間って感情がありますよね?(当たり前すぎて「なに言ってんだこいつ」となりそうですが)
感情が薄くなった〜とか俺には感情がないんだ〜とか、そんな時期も、もちろんあると思うのですが……。
基本的に表現の方法が違うだけで、そもそも感情は存在します。
ですが、感情を適切な方法で認知したり表現できないことは問題です。
だって自分で認知できないと自分に感情はないと思っちゃいますし、表現できないと周囲が自分について勘違いをしますからね。
自分の気持ちくらい自分で理解しろよ! と思うかもしれないですが、これって根深い問題なんです。
みんな自分の心は、自分しか認識ができませんよね?
そもそも、その人がどう世界を見ているか? を理解し、世界との関わり方について教えてくれる人間が周囲にいなかった場合、その人は自分で戦い方を学ばなければなりません。
この戦い方を誤ったパターンが考えすぎなんです。
「考えればなんとかなる! だって物事は論理的に進んでいくはずだから……」
そんな思いこみが根底にあるので、とにかく今認知した材料で、考えて、結論を出そう、どうにかしようとしちゃうんですよね。
でも、そのどうにかしようとしているものの正体ってなんでしょう??
それこそ、感情なんです。
今、自分が迎えている危機を解決するために考えているのに、本当に自分が対処したい問題=感情を認知できていないと、ここで行き詰まりが起こります。
だって対処したい問題を認知していないんですから、そりゃ解決しませんよね?
まず「自分はなにを嫌だと思っているんだろう?」「自分はこれが好きなのかな?」と自覚すると、対処すべき問題が明確になります。
自覚すること≠感情に引っ張られること
では、感情を自覚するってどうするの? ってことなんですが、少しややこしい話になるので、まず感情を自覚することと、感情に引きずられることの違いについて記載しますね。
例えば、あなたには気の合わない同僚がいるとしましょう。あなたはなんとな〜く、あの人が嫌だな〜と思っています。
「あの人ともう一緒に働きたくないな〜」
そう思い、いろいろと対策を考えます。
方法は色々ありますよね。その人と関わらないようにする。別の部署に異動願いを出す。仕事を辞める……。
この検討をする際、きっとあなたは気の合わない同僚について色々と考えるでしょう。
「あいつの偉そうに指摘してくるところが気に食わないんだよな〜。あと、上司に厚かましい媚を売っているのも目につくよな〜」
単純に気が合わないのではなく「相手のとある部分」が嫌だと思っているんですよね。
さて、ここで相手の嫌な部分を認知し、可能な限り相手を避ける……この方法は感情に引きずられて行動した場合です。
「どうしてあの人から指摘を受けて、自分は嫌な気持ちになったんだろう? あの人が上司に媚を売っているのを見るのが、嫌なんだろう?」
そう思って、あなたは考えます。
「もしかすると、自分は自分と同等の立場の人に物を言われることが嫌いなのかもしれない。 以前、自分は彼の書類のミスに目をつぶってあげたのに、彼は自分のミスを指摘してくるから、損をした気分になったのかもしれない」
さらにあなたは考えます。
「自分は上司と仲良くしたいと思っているのに、彼のように話しかけに行くことができないから、彼の行動が目に余るのかもしれない。上司だけではなく、彼の言葉から嘘くささを感じる。そうした行動をとる人が苦手だと自分は思っているのかもしれない」
ここまで考えると、自覚になります。
つまり「嫌だな〜」で終わるのではなく、「なぜ嫌なのだろう?」まで考えることで、「自分軸」の改善点が見つかるんです。
実際にここまで考えると、もっと違う改善方法が見つかりますよね?
「ミスの指摘は嫌な気分になったけれど、仕事上重要なことだから、恨むのはやめよう。それに立場で物事を考えるのは、自分のプライドの高さが原因だから改善したほうがいいな……」
「嘘くさくて苦手だけど、彼の明るさには学ぶところがある。自分も勇気を出して上司に話しかけてみようか……」
ただ相手を避けるだけの解決策よりも、こちらの方が生産的ですよね?
無論、解決方法が見つからなくてもいいし、この場合、相手を無理やり好きになる必要もありません。
ただ、自分の「嫌」を明確化しておくことで、次に同様の場面に遭遇しても、考える量が減ります。
そうすると、意外にも「嫌だな〜」と思う量も減るんですよね。
すでに自分の中で「嫌だな〜」と思う出来事としてファイリングされている感覚と言いましょうか。
つまり、考えすぎを防止するには、適切な方法で考え、結論づけるべきところに集中することが大切なんですよね。
そして、その集中すべきところというのが自分の感情なんです。
ここまで書いて、記事が長くなってきたので続きは次回。
次の記事では本題の「どうやって感情を自覚するか?」について書きます〜。
それでは、読んでいただきありがとうございました。