「人を好きになる」が理解できない人、挙手!

なぜ

こんにちは。

今回は「人を好きになる」という状態(特に恋愛的な意味)について、あれこれ考えていきます。

この記事は、下記状況の同志向けです。

「だれか好きな人いないの? と聞かれるけど、ぶっちゃけ人を好きになる感覚がわからない」

「どうしてみんな恋愛の話ばかりするの? もっと大切なものはいっぱいあるよね?」

「好きな物はたくさんあるけれど、好きな人なんてできたことない。それを問題だとも思わないけど、どうして自分がこうなのかは気になる……」

定義を確認してみよう!

まず「好き」という言葉の定義について確認してみましょう。

下記はgoo辞書の例です。

[名・形動]

  1.  心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「—な人」「—な道に進む」⇔嫌い
  2.  片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「幹事を買って出るなんて、君も—だねえ」「—者」
  3.  自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。「—なだけ遊ぶ」「どうとも—にしなさい」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/好き_%28すき%29/

 

他の辞書も確認してみましたが、おおまかな意味は「心がひかれる」ことのようですね。

じゃあ「心がひかれる」ってなんやねん、という話です。

こちらも定義を調べてみましょう。

心(こころ)が引(ひ)か◦れる の解説

好意を寄せる。思いを寄せる。「人柄のよさに—◦れる」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/心が引かれる/

思いをよせる、という言葉が出てきましたね。

つまり「好き=自分の気持ち/感情をある対象に向ける」ということのようです。

では、定義がわかったところで、いよいよ、この対象が人間であった場合の状況について、考えてみます。

「人を好きになる」という状態は、一般的なもの?

他人を好きになったことがない、と一括りにしても、その種類は2つに分かれると思います。

 1:友情的な意味で他人を好きになることはあるが、恋愛的な意味ではない。

 2:友情的/恋愛的 どちらの意味合いでも他人を好きになったことがない。

まず、先に確認ですが、どちらの意味でも、無理やり人を好きにならなくても全然OKです。

社会的なトラブルさえ起こさなければ、わざわざ「好き」という感情を持つ必要はないですし、そもそも、好き=心ひかれる、という意味ですので、気持ちをコントロールすることは不可能です。

ですから、まず無理やり他人を好きになる必要はない、ということを確認しましょう。

また、この議論を進める上で重要になってくるのが「親愛」=友情的な好き、と「恋愛」=恋愛的な好きの違いについてです。

この違いについては、長くなりそうなので別記事で考察しましょう。

とりあえず、この記事においては、「親愛」と「恋愛」の違いは「存在しない」という前提で話を進めようと思います。

(一応、判別しやすい異なりとして、肉体的な愛を求めるか求めないのか、の違いはあります。ですが、そこを着眼点にすると生物の問題になってきますし、肉体的な愛のない恋愛もあるため)

その上で、今回は「1」の恋愛的な意味で他人を好きにならない、というパターンについて考えてみます。

なぜ恋愛が重視されるのだろう?

小学校高学年くらいから、「恋愛」は1大娯楽ジャンルとして覇権を占めてきますよね。

友だちと集まれば恋愛の話、ちょっと仲良くすればすぐ「付きあえば?」などと茶化されることも。

そんな雰囲気が流れる社会ですが、考えてみると、どうして、これほどまでに「恋愛」が気になるのでしょう?

下記に考察を箇条書きにしてみました。

1:他者への関心における最大限の表現だから。

2:「結婚」「出産」という1大イベントの前段階だと見なされており、社会的な重要度が高いから。

3:全員一致で知っている概念かつ、全員参加可能な娯楽だと認知されているから。

これらを1つずつ考察してみましょう。

恋愛感情=他者への関心における最大限の表現

人から人に向ける感情はさまざまですが、それがグラデーションになった際に、最も「高まる」感情は何かと問われたら、それは「愛」と「憎しみ」でしょう。

「愛憎」なんて言葉もあるくらいですから、人は人間の感情の頂点部分に「愛」という単語を置いています。

自分たちの表現できる最大出力の感情=愛情、という認識があるから、恋愛は重要だ……という認知がされるのですね。

社会的な重要度が高いから

結婚、出産……今の時代においては、社会的重要度が高いとは言えないことですが、少し昔であれば、ほとんど必要なことだと見なされていた文化です。

また、現在であっても、結婚や出産は、その人の一生において非常に大きなイベントであることには違いありません。

そのイベントの前段階と見なされる、恋愛の重要性が高まるのは当然かもしれません。

全員参加可能な娯楽だと見なされているから

ドラマや漫画、どんなエンタメを見ても「恋愛」は存在します。

このことから分かるように、恋愛はみんながその概念を知っている(と思われている)娯楽なんですね。

恋愛ゴシップが好きな人は多いですし、噂話に辟易する人でも、その話題が中心にのぼりやすいことは知っていると思います。

また、恋愛は「誰もが」参加可能な娯楽だと思われています。(現実には、そうではないと思いますが)

ですから、みんなが共有できる話題・娯楽として恋愛は一定の位置が与えられているんですね。

恋愛はしなくてもOK!

上記理由で重要視されている恋愛ですが、当然のことながら、しなくても大丈夫です。

世の中に恋愛しないとダメなんてルールはありません。

その理由について下記2つがあります。

・恋愛がなくても友愛・親愛・家族愛、それ以外の名前のつかない愛情で十分だから。

・文化的な側面が強く、現代では必ずしも社会的・自己成立にとって必要な概念ではないから。

恋愛以外の愛情で十分

人間に「なにかを好きになること」が必要なことは、すみません、否定ができません。

でも、それは愛情を受けることが大事というよりも、愛情を持つことができる能力が大事、という話かな、と。(もちろん、愛情を受けることも発育上大事ですけどね)

なにかしらに対して愛情を持つ「べき」とまで言ってしまうと偏った主張になりますが、指向性を持たない人はいないでしょうから、指向性=愛情と捉えてくれると幸いです。

愛情は、ドラマティックなものである必要はありません。

究極の話、ガパオライスが好きだとか、あのアニメのキャラが気にいってるとかそんなもんで良いんです。

家族も友だちも存在しないや〜となっても、大丈夫です。

いわんや、恋愛など。

小さな「あれが好き」「これが好き」を積み重ねているだけで、それは十分な好きという気持ち=なにかに心を寄せること、になります。

この気持ちさえ持てれば、きっと大丈夫です。

なにに対してであっても、好きという気持ちがあるのであれば、あなたは「愛情を理解している」のですから。

恋愛だけが重要な社会ではなくなった

これについて、あれこれ言うのは野暮でしょう。

昔みたいに娯楽の少ない時代でもなく、また結婚しなくてはならないご時世でもありません。

社会的にどう見られるのか? というのは、悲しいかな、群れで暮らしている私たちにとっては重要なことだと言わざるを得ません。

でも、今の時代であれば、恋愛なんてしなくても、なーんにも問題ありません。

自己実現の方法も、それ以外の楽しみもたくさんあります。

そんな状況下では、恋愛はただの一つの娯楽です。無理にする必要なんてないんです。

とはいえ、「恋愛がしてみたい」「恋愛感情を知りたい!」

そう思う気持ちもわかります。好奇心は大事です。

「無理にする必要なんてない……とかじゃなくて、こっちは恋愛する方法を知りたいんじゃ!」

と思う方、すみません、それもこれから考えます。

と言うことで、次の記事は「どうすれば恋愛することができるようになるのか? 人を恋愛的な意味で好きになれるのか?」を考えていきます〜!

とりあえず、この記事はここまで。

ではでは。

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