「相談にのる」とはなにか?

なぜ

相談にのる/のられる、とはなにか?

こんにちは。記念すべき第一投稿は、相談をテーマに書きます。

この記事は、下記の状況になっている同志向けです。

「人生に迷っているから他人の意見を聞きたいけど、そもそも人に相談するとはなんぞや? そもそも、わたしには相談できる人がいるのか?」

「彼女から相談したいことがあるって言われたけど、なぜか怒らせちゃったよ……」

「子どもが悩んでいるみたいだから相談にのってあげたいけど、どうすればいいかわからない……」

いきなり結論から始めると相談する=解決を目的として意見交換すると、そうとらえて問題ありません。

……意義上は。

しかし、考えてみてください。自分が相談したとき、および、友だちや会社の同僚から相談されたとき、その問題は解決しましたか?

ズバッと解決できることや、間接的なヒントを与えることにはなったかもしれません。

ですが、じつは相談によって問題を100%解決することって本当に難しいです。

まず、問題が具体的でないといけません。

ビジネスシーンなら良いでしょう。

「どうやって営業成績を予算達成させるか?」という問いには明瞭な目的があり、それは全員が共有できる前提があるからです。無論、実際に解決方法が見えたとして、達成できるかは別問題ですが、今回はそれは置いておくとします。

プライベートでは、そうはいきませんよね? 

相談をするにしても、されるにしても、相手との前提条件の違いについて認識しているかどうかで、雲泥の差が出ます。

この記事では、以下、前提条件の違いについて明瞭化を行い、その条件の違いがどのように相談という行為に影響を与えるのか、考えてみたいと思います。

相談の前提条件

「共感」か「論理」か

突然ですが、みなさんはこんな場面に出会ったことはありませんか?

久しぶりに友だちと再会、おいしいごはんでもいただきながら近況を報告しあったところ、彼および彼女の口から一言。

「そういえば、たいしたことじゃないんだけどさ……」

このあとに続く話題は決まっています。愚痴です。

あなたは彼および彼女の、仕事(上司のパワハラがひどい。後輩が自分を舐めてかかっている。仕事量が多すぎる)恋愛(彼氏および彼女の連絡頻度が少ない、友だち付きあいがよくない)の状況を聞きます。

これに対して、相手の感情に共感すること、もしくは根本的な解決をうながす解決策を返すことのどちらかができます。

☆共感する返答方法

 例:相談内容:上司のパワハラがひどい。

   → 回答:それはひどい。体調は崩していないか? 無理はしないほうがいいよ。

  :相談内容:恋人の連絡頻度が少ない 

   → 回答:連絡が少ないと心配になるよね。気持ちはわかるよ。

☆根本的な解決を促す返答方法

 例:相談内容:上司のパワハラがひどい。

  → 回答:他の上司や人事部門等、相談できる部署に上司のパワハラを報告したほうがいい。解決の見込みがないなら転職も考えたほうがいい。体調に異変をきたしているようなら、休職したほうがいい。

  :相談内容:恋人の連絡頻度が少ない 

  → 回答:相手と話し合いの場を持つほうが良い。その結果、連絡頻度のすり合わせができず、互いに不満が残るようなら、別れも視野に入れたほうが良い。

上記の例でお気づきになったかもしれませんが、有能そうに思われるのは、根本的な解決方法を提示する回答ですよね?

根本的な解決を促す方法では、アクションについて主軸が置かれているので、相談相手が「なにをするべきか」「どう対処するべきか」情報がたくさんあり、一見、非常に親身であるように思えます。

でも、思いだしてみてください。

相談を受けたとき、実際に自分がだれかに相談したときのことを。

必ずしもみんながこのようなスタンスで相談にのっているでしょうか? 

そして、共感型の相談の場合になにも解決していないでしょうか?

じつは、根本的な解決をうながす方法では、ひとつ重大な問題が解決できていない場合が多いです。

それゆえに、うまく相談にのれなかった/のってもらえなかった、と思われることがあります。

その原因は相談の原因の一因である、相談者の感情面の問題解決ができていないからです。

もちろん相談者、相談を受ける側のスタンスや、相談内容にもよりますが「相談をする:のですから、その中には不安や不満、不思議に思う気持ちが必ずあります。

根本的解決においては対象となる問題の解決をすることによって、最終的な不安を取り除くことができますが、その場合、今すぐ不安や不満を取り除くことはできませんよね?

良くも悪くも、行動ありき、その人の不安は相談終了時点で継続されたままなのです。

それを取り除く方法として、感情面での問題解決があります。

当然、こちらもそれだけでは問題自体の原因解決ができません。ですが、ないがしろにすると、相談時にありがちな、気持ちをわかってくれないから、相談しても無駄だと相手を萎縮させる結果になりがちです。

結果として、どちらもバランスよく取りいれて相談にのることが必要です。

一時的な解決か? 根本的な解決か?

上記の共感と論理のどちらを用いるか、という話にも関係しますね。

当然「一時的な解決じゃ話にならん! 根本的な解決をしないと同じことが続くだろう」との、お怒りはもっともです……。

ですが、根本的な解決って難しいんですよ。

なぜかというと、時間がかかるからです。

例えば先ほども使った例で考えると、

「上司のパワハラがひどい」という問題に対して、根治をするならば、下記解決方法が考えられます。

 1:上司にパワハラをやめさせる。

 2:自分がパワハラに耐える/回避する方法を探す。

1ならば、上司の上司に伝えて注意してもらう、人事にコンプライアンス違反を訴える。

2ならば、パワハラと考えられる事象に耐えられるようメンタルを変える、および自分が別部署に移動する、転職する等でしょうか。

どちらも簡単なことではありません。

1の方法は、おそらく上司側からの反論、訴えた相手からの聞きこみもあるでしょうし、それにより、さらなる面倒に巻きこまれる可能性があります。

2の方法は、メンタルを強くするなんて、不可能ではないかもしれませんが、正直一朝一夕では難しいでしょうし、部署移動、いわんや転職なんてもっと大変です。

これらの方法には時間がかかり、そのあいだ心理的な負担がかかり続けます。

むろん、やりとげれば、晴れてパワハラ上司とお別れできますが……

でも、やりとげるまでのエネルギーがなければ、解決できませんよね。

そのエネルギーは、いったいどこから供給されるのか? ということで、ここで一時的解決が大切になってきます。

一時的解決とは、言いかえれば、共感によって、感情のコップの内容物をいったん捨てることです。

たとえ解決方法を提示されなくても、話すと気持ちがスッキリしたり、状況が整理されることがありますよね。

それは問題によって混乱した精神状態が、共感によって安定するからなんです。

もしかすると、この記事を読んでくださっている人のなかには「共感したり、されたりするくらいじゃ、なんの解決にもなってないんだから、気持ちがスッキリしないよ!」という人もいるかと思います。

それも、またしかりです。この一時的解決をおためごかしと感じて好まない人も、もちろんいると思います。

ですが、この一時的解決が、根本的解決をするための前段階として必要な人もいることは、頭の片隅に入れると良いかもしれません。

エンパシー/シンパシーのどちらを求めるか?

上記の2つの条件で共感という言葉を用いましたが、じつはこの共感にも罠があります。

共感には、エンパシーシンパシーの2種類があるんです。

 エンパシー:相手の立場になって理解する能力。

 シンパシー:相手の感情に寄りそって理解する能力。

エンパシーが共感、シンパシーが同情とも言えますね。

この2つ、非常に似ているのですが、相談にのる立場になる人には、ぜひ知ってほしい考え方です。

というのも、シンパシー=共感だと考えていると、相談に失敗して相手を傷つける可能性が高いからです。

よくある例が「幸福な家庭」と「不幸な家庭」の場合です。

両親ともに仲がよく、家庭での会話も豊富な家庭の子:Aちゃん & 両親が喧嘩ばかりで、身のおきどころのない家庭の子:Bちゃん を例にとってみましょう。

たとえばBちゃんの家で、また親の喧嘩が起こり、Bちゃん自身も八つ当たりにあってうんざりしていたとします。

Bちゃんは、この不満をAちゃんに打ちあけます。

 Bちゃん:「最近、親がうざくて困る。もう家出しちゃおうかなあ……」

 Aちゃん:「ええ!? たしかにうっとうしいこともあるけど、家出なんて……なにかあったの?」

 Bちゃん:「親同士の喧嘩がすごいんだよね。父親の帰りが最近遅くてさ、お母さん、最近イライラがすごいのよ。夜中までやってるし、寝れなくて困る。朝起きると、機嫌悪くて、なんかわたしにまで当たってくるし……」

 Aちゃん:「まあ、それは大変だけどさ。でも、家出なんて、そんなの心配させるよ。そんなに嫌なら、いったんお母さんたちと向きあって話してみたら?」

 Bちゃん:「……」(ああ、Aちゃんにはわからないんだな)

この回答は一見、間違っていません。ですが、Bちゃんは心を閉ざしてしまうでしょう。

この場合、Aちゃんは一切悪気がありません。むしろ「両親と話しあう」という正当な解決方法を提示している点で親切ですし、きちんと「うっとうしいと思う」と共感のフレーズも述べています。

それでは、なぜBちゃんは納得しないのか? 

それは、AちゃんとBちゃんの環境が違うからです。

Aちゃんにとっての「親がうっとうしい」は、勉強をしろと干渉される、小言を言われる、程度です。

ですが、Bちゃんにとっての「親がうっとうしい」は、喧嘩ばかりで安心できない家、自分が原因ではない物事で八つ当たりされる怯え、なのです。

同じ「うっとうしい」という言葉を使っていても、背景が大きく異なります。

その事情を完全に共有していない場合、AちゃんにはBちゃんの「うざい」「家出したい」という気持ちは理解できません。

またAちゃんには「自分の話を聞いてくれる親」のイメージが容易くできますが、Bちゃんにはそれは難しいイメージです。おそらく「自分の話などは聞いてくれない」と考えているでしょう。

「話しあってみたら?」とAちゃんが言った時点で、Bちゃんは「Aちゃんと自分は環境が違う」と気づき、もうAちゃんに家庭のことを相談はしなくなるでしょう。

この例のように、自分の背景や経験「だけ」を、もとにして相談にのると、相手の心を閉ざしてしまうことが多くあります。

そして、恐ろしいのが、この事象を起こしがちなのがいわゆる「優しい」「共感力の高い」人であることです。

他者の痛みを自分ごとのように捉える(=シンパシー)人は、逆を言うと「その痛みが捉えられない」場合、共感することができません。

これがシンパシーの落とし穴です。

では、どのように共感すれば、上手に相談にのれるのか?

それは、他者の痛みを「客観として」理解する(=エンパシー)ことです。

Aちゃん、Bちゃんの例で表してみましょう。

 Bちゃん:「最近、親がうざくて困る。もう家出しちゃおうかなあ……」

 Aちゃん:「まあ、親ってうざいよね。でも、家出まで考えてるの? なにかあった?」

 Bちゃん:「親同士の喧嘩がすごいんだよね。父親の帰りが最近遅くてさ、お母さん、最近イライラがすごいのよ。夜中までやってるし、寝れなくて困る。朝起きると、機嫌悪くて、なんかわたしにまで当たってくるし……」

 Aちゃん:「それは大変だ。Bちゃんは関係ないのにね」

 Bちゃん:「喧嘩なら外でしろよって思うよね……ごめんね、愚痴言って」

 Aちゃん:「いいんだよ。話聞くことしかできないけど、なにかあったら言ってね!」

このような流れでしたら、Bちゃんの心を閉ざすことなく相談にのることができます。

ここでポイントなのは、必ずしも、AちゃんはBちゃんの感情に同調する必要はないということです。

Aちゃんは、Bちゃんの家庭事情を本当に体験することはできません。ですのでBちゃんの辛さ・しんどさを共有(=シンパシー)できません。

ですが、かわりに「なぜ?」と「相手の状況を理解する」ために質問したり、「大変だったね」とBちゃんの「困っている」状況に対して、理解を示すことはできます。

感情に同調する必要がない、と言われると「それは冷たいのでは?」と思われる人もいるかもしれません。

それも、もっともです。もし本当に心から(=シンパシー)相手に共感し、なぐさめることができるのであれば、それは相手の助けとなり、お互いに強固な絆となるでしょう。

ただし、「心から」相談にのると、心と心のぶつかりあいになり、相談という観点からは解決に至らなくなる場合があります。

ときには、冷静で客観的な「共感」(=エンパシー)の方法もあることを知っておいて損はないでしょう。

だれに相談する?

ここまで、相談における前提条件と、その影響について考えてきました。

「だれに相談する?」と考えている人たちにとっては、これらの前提条件を検討し、適当だと思われる人たちに相談した方が良いでしょう。

 ・共感するタイプの人か、それとも論理的な解決方法を提示するタイプの人か?

 (共感してほしいのか、それとも解決方法がほしいのか)

 ・似た環境(職場、家庭、恋愛)や同じような経験を持っている人か?

もし、感情面でのサポートが必要な状況(精神的につらい、慰めの言葉がほしい)のであれば、共感力の高い人に相談をするべきです。

そうではなく、解決方法の提示やアイデアがほしい場合(状況に行きづまっている、別の視点の意見がほしい)は、逆に自分とは異なる環境下の人に話を聞くべきです。

どちらにしても言えるのは、複数の人に相談することです。

特に重要なこと、深く悩んでいることに関しては、親しい人「だけではなく」、あまり親しくない人や他人(カウンセラー、悩んでいる事象の専門家)にも相談してみましょう。

上記でシンパシーとエンパシーの話をしましたが、このエンパシーが上手にできる人はそう多くはありません。

また、客観的な意見にも複数の視点からの意見があります。悩みが専門的であればあるほど、どの立場の人どのようなことを言うのか、比較できるように、たくさんの人と話をした方が良いでしょう。

相談の心得

 以上の前提から「相談」の心得を考えてみましょう。

1:相談相手は選ぶこと!

自分の状況や、相談内容によって相手を選びましょう。

相談は相手に時間をとってもらう行為ですし、せっかく話を聞いてもらうなら、実のある内容にしたいですよね。

相談をされた側は「相手がなにを求めているのか?」を意識するとGOODです。

2:相手に期待しすぎないようにしよう!

相談は、どうしても感情の問題が絡みます。

話す内容によっては、相談する側、相談を受ける側のどちらにも非がないにもかかわらず、感情的なサポートさえできなかったり、むしろ互いの関係にひびが入るなんてことも……。

ですから、期待しないようにしましょう。

相手は他人です。

これを「冷たい!」と思う人、わかります。

ですが、他人は他人です。理解できないほうが普通なんです。

うまくいかなかったら「まあ、いいや!」と切り替えましょう。気まずい空気にならないように茶化しましょう。それも難しかったら、いったん距離を置きましょう。

相談する人は「解決したい」と思い、相談される人は「役に立ちたい」と思うものです。

どちらも悪くないんです。でも、対話において不一致は起こるもの。

ですから、気持ちの切り替え、「まあ、いいや!」精神、これこそが一番大切かもしれません……。

3:相手が他人であると理解し、感謝をしよう。

やっぱり思いやりがないと、相談はうまくいきません。

じゃあ思いやりってなによ、という話なのですが……。

これは「相手が他人」であることを理解し、その上で、感謝をすることだと思います。

相談は違う人間同士だから、成立することです。(会話ですからね)

でも、相手が自分と同じ考えをもっていて当然だと思っていたり、共感できない/されないことに不満を持ちつづけてばかりいたら、問題は解決せず、人間関係も上手くいきません。

ですので、相手と一定の距離を保ちつつ、思いやりをもつこと。

これが一番大切ではないかな、と思います。

まとめ

相談するとき/されるときのことを、さまざまな角度から考えてみました。

結局、一番大切なのは相談相手のことを尊重する気持ちです。

このブログでは、「わたし」が「わたし」を相談相手として、記事を書いていきますが、日々のちょっとした悩みのヒントを提供できるよう頑張ります!

では、また別の記事でお会いしましょう〜!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました